仙台駄菓子のはなし
先の仙台旅行で駄菓子屋のご主人に聞いた話
「仙台駄菓子」とは言いつつも、その品々は全国各地から集めたのだそう。
そもそも仙台駄菓子として注目されたのはそう古い話ではなく、昭和30年ころから石橋屋や熊谷屋などが、全国の駄菓子を探して後世に残そうとしたのがテレビなどで取り上げられたとのこと。
ご主人は日本史を絡めて丁寧に話してくれた。
菓子の起源は木の実であり、米を食べれない時代に主食として食べていたものが、豊かになるにつれて「おやつ」的なものに代わっていった。
清の時代の中国から砂糖が伝わり大名が菓子作りを競ったそうだが。調べると和歌山や京都も含め、関西~東海地方などで栄えたらしい。つまりは織田・徳川の領地だ。海外文化を好んだ両大名を思えば納得のいくところ。
そして時代は進み倒幕にむかう世の中では、菓子を「贅沢」や「大名」の象徴ととらえ、下駄で踏みつけたりしていたらしい。このことから「駄」の文字がついたんだとか。
この手の話には諸説あるものだが、なかなかしっくりくる由来だった。
話のなかでは「静岡の羊羹が有名だった」
「兵庫県に菓子の神様(どうやら中嶋神社らしい)がいる」など、
地方文化にまつわる話もちょこちょこ登場した。そして茶の湯とともに仙台で菓子を広めたのは伊達政宗であったとか。
朝起きて早い時間に訪ねたからこそ、こうした話を健やかな気分で聞けた。
連休中、旅行中とはいえ、やはり早起きはするものだ。
その分、一日中運転してくれた友の晩酌にあまり付き合えなかったのはちょっと軟弱だな。
今度からは酒もちゃんと飲んでちゃんと早起きできるようにしよう。