RUMBLE DIALY

- 乱振日記 - 都内在住の社会人が、映画・IT・ビジネス・紅茶・料理・格闘技について書き殴るブログ

理念とは

会社で「理念を持とう、考えよう」ってワークをやった。

大学時代サークルでさんざんやりあったテーマだけど、社会人同士で話し合っても結局変わらないな、という印象で終わった。要するに「それらしく話してはいるけど、本当にそれを実践するの?する気あるの?」ということ。

 

ワークを「やること自体」にメリットはある。自分の頭にない視点や知識を、人の口から直接聞ける。どんなにネットが幅を利かせても、この説得力は変わらない。ただしそれはワークの最低条件というか当たり前のことであって、そこからの進行やゴールの作り方こそが大事だと思うんです。(=ファシリテーターが必要。ここにこそお金をかけるべき)

今日の進行で腑に落ちなかったのは2つ

自由に議論して最後にコピーにまとめるのだが、必ず「笑顔」という言葉をいれる、という条件を出されたこと。そして、いくつか提案を集めて選定し全社投票で決めること。

もうこの時点で疑問だらけだった。

2時間近く自由に話しておいて、最後に「必ず笑顔を入れなさい」ってどういうこと?それが社長や役員の意思ならば、『笑顔を念頭に理念を築こう!』って進めるのが筋じゃないか?つまりは「笑顔」というもの強く掘り下げるつもりもないし、参加者たちに完全な自由を与えたくもないのだ。

そして決定方法が全社投票。ここにも保守的で形式的な態度がみえる。つまり本気で実現しようという覚悟が無いのだ。仮に会社の4割が反対していても、6割が賛成ならばその案は採用されることになる。しかも自分たちの投票だから、さも社員に選んだ責任があるかのように思わせることになる。

私が思うに、『理念』の定義や役割は会社ごと社員ごとにバラバラでかまわないと思うが、絶対に満たさなければいけない条件がひとつだけあると思う。それは、『全員がそれを納得して肯定できる』こと。でなければ全員で共有する意味がない。

「ああ、こういう形になったんだ。ふーん」ではだめ。少なくとも「100%合致はしないけど、確かに自分の考えとは一致する」でなければ。

 

実際、理念に基づいて開発やプローモーションの提案をした時に全員肯定の理念であれば、大前提は既に確定しているのだから、すぐに「ガイドライン」や「手段」が話せるのだ。

 

うちの「理念」が決定し、その後のミーティングで「そもそもウチはどうあるべき?」みたいな議論が聞こえてきたら、それは意味のない理念なのではないか?